2:以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします:2014/03/08(土) 19:35:56.51 ID:TvOaOW1R0
さらさらと流れる渓流に向かって、手頃な岩に腰を下ろして。
自然の中に糸を放ち、ゆっくりと過ぎる時間をじっと感じています。
こうしてこの釣り場で魚を待つ事も、これからは少なくなるのかな。
そう思うと、なんだか寂しい気持ちが溢れてきます。
来月から、とうとう私も高校生。
家から一番近い高校に進学したら、新しい生活が始まって。
友人たちと遊んで、クラブ活動や委員会活動に打ち込んで。
そうしたら、こうやって釣りに来る時間も減ってしまうのかな。
でも、それもまた、私の道なのかな、と感じています。
3:以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします:2014/03/08(土) 19:37:10.12 ID:TvOaOW1R0
おじいちゃんに教えてもらった、秘密の場所。
お父さんもお母さんも知らない、私とおじいちゃんだけが知っている釣り場。
釣り竿がなくても、岩に座って渓流に向かって、自然を感じるだけで。
まるで曇の切れ間から光が差すように、気持ちがすっとします。
ぴくり。
何かがかかったな、と気付いて私は竿を引き上げます。
ぐいぐいと竿は引っ張られて。
負けじと私も、竿を引いて。
「……ふう」
澄んだ空気に晒されてぴちぴちと跳ねる魚。
口に引っかかった針を外してバケツの中へと移します。
4:以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします:2014/03/08(土) 19:38:16.64 ID:TvOaOW1R0
餌を付け直して、また針を川へと放ります。
次はもう少し長く、ぼんやりとしていたいな。
餌を付けなければいいのに。
そうは思ったけれど……これで、いいのです。
今はただ、じっとこの時間を味わっていたいだけなのですから。
ゆるやかに流れる川。
木々の間から差す木漏れ日。
鳥の声。
自然に囲まれた中で、私はそっと、糸の先へと意識を寄せます。
6:以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします:2014/03/08(土) 19:39:36.44 ID:TvOaOW1R0
こくり、と体が揺れて、目を覚まします。
うたた寝をしていたのかなと気付いて、もう一度、しっかりと竿を握り直します。
ぴくり。
また、何かが掛かったのかな。
ゆっくりと、竿を上げます。
ですが、私が思い描いていたよりもずっと強い力で、針は水底へと沈んでゆきます。
大きな魚かな。もしかしたら、川の主かもしれません。
ぐっと力を込めて、ぴんと張った竿を引っ張ります。
7:以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします:2014/03/08(土) 19:41:27.28 ID:TvOaOW1R0
「……あれ」
けれども、どんなに力を込めても竿は動きません。
おかしいな。こんなこと、今まではなかったのに。
確かに、私は普通の女の子。特別力が強い訳ではありません。
でも、この渓流でこんなに力の強い魚は、見たことも聞いたこともありませんでした。
少しずつ自分の体が、川に引き寄せられてゆくのが分かります。
「……あっ」
少しだけ、体が宙に浮いたような感じがして。
ここは浅かったかな、それとも。
そんな心配事が、頭をよぎりました。
8:以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします:2014/03/08(土) 19:42:29.42 ID:TvOaOW1R0
川の冷たい感触が、頬を撫でました。
跳ねた水飛沫。ふと気付けば、私は両手を離していて。
「……竿」
そのまま、ゆらゆらと流されてゆく竿が見えました。
取りに行かなきゃ。
けれども、体はずっと、固まったままでした。
そうしてようやく、私は気付いたのです。
「……大丈夫か。もっと自分の心配をしろ」
私を支えてくれている、しっかりとした暖かい腕。
「……えっと、あの」
何が起こっていたのでしょうか。
どんなに頭を働かせても、答えにはたどり着けませんでした。
9:以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします:2014/03/08(土) 19:43:47.17 ID:TvOaOW1R0
「……あの。ありがとう、ございます」
どういたしまして。
目を逸らし、ぽりぽりと頭を掻きながら彼はそう言うのでした。
じりじりと川へ引きずられる私を見て、咄嗟に助けようとしてくれたそうです。
なんだか、顔から火が出ちゃいそう。
でも、とても暖かくて、温かくて。
不思議な気持ちでした。
「……落ちなくてよかった。それだけだ」
それよりも竿が、と彼は川下の方を見ます。
岩の隙間に引っかかって、竿は流れの少し先に止まっていました。
「よかったな」
ええ。でも、川に落ちなかったことの方が、大事でした。
10:以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします:2014/03/08(土) 19:44:54.04 ID:TvOaOW1R0
竿を川から文字通り引き上げて、持ってきていたタオルで濡れた部分を拭き取って。
あとはお日様に当てて乾かしておきます。
そうして、ふと気付きます。
「……えっと、あなたは?」
今更か、と言わんばかりに。
きょとん、とした顔で見つめられてしまいました。
彼も、私と同じでした。
この岡山の小さな町に生まれて、ずっとここに暮らして。
大学を卒業して、来月から社会人として働くそうです。
「……昔、俺のじいさんが……ここを教えてくれたんだ」
そんなところまで、全部一緒。
ひとつだけ違うのは、彼は来月からこの町を、岡山を離れてしまうことでした。
11:以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします:2014/03/08(土) 19:45:52.33 ID:TvOaOW1R0
「……芸能事務所の社長に、拾われてな」
就職活動で都会に出ていた時に、突然声をかけられて。
そのままあれよあれよという間に内定を貰ったのだとか。
酔狂な人だ、と彼は笑っていました。
「ここに来ることも……しばらくはなさそうだ」
芸能事務所ということは、東京か、大阪か。
少なくともここより、岡山よりずっと都会の街。
修学旅行でしか岡山を出たことのない私にとっては、空想の中の世界。
どんな所かさえ、私にはちっとも想像が付きません。
12:以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします:2014/03/08(土) 19:46:49.56 ID:TvOaOW1R0
「……どうした?」
ふと我に帰ります。
じっと一つの事を考えると、すぐに他のことを忘れてしまう私の悪い癖。
それでもおじいちゃんは、
「好きなことに集中できる、いい事じゃないか」
と言ってくれたっけ。
「あ、すみません。考え事が……」
頭を下げると、彼はふふっと笑って。
「……大丈夫だ。俺も……よくある事だからな」
だなんて、本当に不思議な人。
でも、どうしてでしょうか。
今日初めて会ったのに、温かくて不思議な気持ちになる。
きっと、私達は同じだからかな。
この町に生まれて、この町で育って。
この秘密の場所を知っているからなのかもしれません。
13:以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします:2014/03/08(土) 19:48:31.62 ID:TvOaOW1R0
それから二人で並んで糸を垂らしながら、ずっとお話をしていました。
私の話。彼の話。この町の話。
彼の紡ぐ言葉は、すっと私の心の中に入り込んで。
私を捕らえて離さない。
何故でしょう。
ずっと、彼のお話を聞いていたい。
そんな気持ちが、心の中に渦巻いています。
ぴくり。
「……あっ」
握っていた釣り竿が川へと引っ張られて、私の意識は心の中から外へと引きずり出されます。
驚いて飛び上がりそうになったのを、ぐっとこらえます。
また、川へと落ちそうになるのはもう御免ですから。
「大丈夫か?」
大丈夫ですと笑って、竿を引き上げます。
14:以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします:2014/03/08(土) 19:49:27.81 ID:TvOaOW1R0
今度は、私でも釣り上げられるような大きさの魚でした。
「どうですか?」
「……お見事」
よくやった、と彼は褒めてくれて。
思わず笑顔が溢れます。
「……えっと」
じっと、彼は私を見つめていました。
ふと、目と目が合って。
なんだか吸い込まれてしまいそう。
「……綺麗な目だな」
「笑った顔が、よく似合う」
そんなこと、ないですよ。
言い出そうとした言葉は、ふわふわと宙を舞って消えてしまって。
私はただ、顔を真っ赤にするしかありませんでした。
15:以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします:2014/03/08(土) 19:50:51.66 ID:TvOaOW1R0
「……ひとつ、いいか?」
はい、と頷いたつもりでした。けれども、声は出ませんでした。
それを察してか、彼は言葉を続けます。
「アイドルに……興味はあるか?」
「……え?」
ぽかんと口を開けた私。
その表情を見て何か察したのか、彼はしまった、という顔を浮かべます。
「いや……忘れてくれ」
そう言って、彼は釣り糸へと目を移すのでした。
16:以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします:2014/03/08(土) 19:52:15.93 ID:TvOaOW1R0
新しい餌を針に付けて、また川へと糸を下ろします。
私と、彼と二人で並んで。
風に揺れる木の葉の音、水の流れる音の中。
会話はありません。
けれども気まずさも、何もそこにはありません。
こうして釣り竿を握り、糸を大自然の中に垂らして。
二人で並んで魚を待つ。
不思議な、なんとも言えないような安心感。
少しくすぐったいけれど、ずっとこうしていたい。
そう思えるような何かが、そこにはありました。
17:以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします:2014/03/08(土) 19:53:18.65 ID:TvOaOW1R0
「……あの」
心地よい沈黙を破ったのは、ふとした私の好奇心。
「アイドル、興味があります」
テレビの中に移る、光り輝くその姿。
この、岡山の長閑な町並みしかしらない私にとって。
きらきらと輝くアイドルは、憧れの的でした。
また、しばらくの静寂の後に。
「……そうか」
「はい」
彼はそうか、と呟くと、視線を戻します。
心なしか、嬉しそうな顔。
けれどもどこか、寂しそうでもありました。
18:以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします:2014/03/08(土) 19:54:39.69 ID:TvOaOW1R0
ぴくり。
また、私の竿が揺れます。
私のありったけの力を込めて、引き上げます。
「……っ」
けれども、また。
「大丈夫か」
後ろから彼が、私の竿に手をかけます。
私と、彼と。二人分の力でも、釣れる気配はありません。
じりじりと、私達の足は水底へと引きずられて。
「あっ」
足の裏から、地面の感触が消えて。
温かい腕のぬくもりと共に、冷たい水の中へ。
ばしゃん、と大きな音が、木々の間に響き渡りました。
19:以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします:2014/03/08(土) 19:57:30.12 ID:TvOaOW1R0
「――初めまして、肇さん」
あら。
不思議なことに私の目は開きました。
息もできる。手も足も動く。
冷たい水の中なのに、そこには息苦しさも何もありませんでした。
「……あなたは?」
目の前にゆらりと漂うのは一人の少女。
その顔は、まるで。
「ふふっ、私ですか」
水の中を歩くように、ふわふわと彼女は私に近づいて。
そっと、私の手を取ります。
「……いつか、分かりますよ」
21:以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします:2014/03/08(土) 19:59:25.84 ID:TvOaOW1R0
目の前で起こったことを飲み込もうと、必死に頭を働かせるけれど。
私には、さっぱりわからなくて。
それでも彼女は、私に笑いかけます。
「……いつの日か、貴方は思い悩んで、躓くことがあるでしょう」
「その時にまた、お会いしましょう。……出来ればこの場所に、帰ってきてほしいな」
何故だかわからないけれど、つうっと、私の目から一筋の涙が零れて。
水の中なのに、おかしいな。
「今日のように、大自然の中に糸を垂らしてください。そうしたら、きっとまた会えますよ」
ぎゅっと彼女は私を抱きしめて、満面の笑顔で、そう告げるのでした。
「だから……行ってらっしゃい。貴方の決めた道を、進んでください――」
真っ白な光が、降り注いで。
そのまま私の意識は、またどこかへと消えてゆくのでした。
22:以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします:2014/03/08(土) 20:00:01.20 ID:TvOaOW1R0
ぱちり。
「……あら?」
目を開けると、そこには彼の顔がありました。
緊張の糸が切れたように、彼はへたり込みます。
「よかった……目を覚まさないかと、思ったぞ」
えっと、それは。
ふと、気付きます。
「服……ずぶ濡れ、ですね」
「川遊びをさせられたからな」
いたずらな川の主さんですね、と笑うと。
迷惑な主様だな、と笑い返すのでした。
23:以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします:2014/03/08(土) 20:02:36.00 ID:TvOaOW1R0
「……あの」
こんな時に言うのもおかしいですけれど。
「私も、アイドルになれますか?」
やはり彼は、ぽかんとした顔で私を見つめます。
けれども。
「……勿論だ。俺が、君を……トップアイドルにしてみせる」
真剣な顔で、こんな事を言うものだから。
なんだかおかしくて、おかしくて。
「ふふっ、それじゃあ……よろしくお願いしますね」
よろしく、と笑う彼のその顔。
ああ、そうか。
やっぱり、私は。
24:以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします:2014/03/08(土) 20:05:16.23 ID:TvOaOW1R0
「どうした、肇……ずぶ濡れじゃないか」
ふと気付けば、そこにいたのはおじいちゃん。
「あ、おじいちゃん……その、これは」
傍から見ると、ずぶ濡れの男女二人。
おじいちゃんから見ては、孫と見知らぬ男性が、服を濡らしている。
えっと、どうしましょう。
「……水遊びです。年甲斐も無く」
彼が、とても真面目な顔で、真面目な声でそう答えます。
「川の主に……呼ばれたものですから」
おじいちゃんは、じっと彼の目を見つめて。
「そうか……。肇、今日は帰ろう。風邪を引くぞ」
と、背を向けます。
「それから、そこの若いの」
背中越しに呼ばれて、彼がびくりと驚いたのが見えました。
25:以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします:2014/03/08(土) 20:07:05.24 ID:TvOaOW1R0
「……お前さんも、風邪を引いちゃいかん。近いから、家に寄っていけ」
呆気に取られて、それでもおじいちゃんの優しさに気付いて。
「……ありがとうございます」
と、彼は頭を下げました。
……あとでおじいちゃんに、どうして彼を疑わなかったのか聞きました。
そうしたら、おじいちゃんは一言。
「嘘をつくような男じゃ、なさそうだったからな」
と教えてくれました。
どうやら、おじいちゃんに気に入られたようです。
26:以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします:2014/03/08(土) 20:08:16.35 ID:TvOaOW1R0
おじいちゃんが運転席から降りてたばこを吹かし、私達に早く乗れと促します。
私と彼は濡れた服のまま、荷物をトランクへと運びます。
受け取った、彼のクーラーボックス。
手にした途端に、私のイメージに反してとても軽かったことに気付きます。
「あら……今日はどうでしたか」
言葉の意味を図りかねる彼へ、にっこりと笑って。
「大漁でしたか?」
ほんの、冗談のつもり。
だった、はずなのに。
「ああ。……大漁だ」
彼は、私の手を取って、目を合わせて。
やはり真面目な声で、言ったのでした。
27:以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします:2014/03/08(土) 20:10:19.66 ID:TvOaOW1R0
「一匹だけだが……大物が釣れた」
「……大漁だろう?」
私はただ、顔を真っ赤にして頷くばかりでした。
「……そうですね。釣られちゃいました」
28:以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします:2014/03/08(土) 20:25:54.30 ID:TvOaOW1R0
――――――――――――――――――――
「どうした、肇?」
ぼうっとしていた所に声をかけられ、びくりと跳ね起きます。
けれども体はがっちりと固定されていて、シートベルトに体を少し打ちつけてしまいました。
ああ、女子寮まで送ってもらうところだっけ。
「疲れているようには見えなかったが……何かあったか?」
「……昔のこと、思い出していました」
聞き返す彼に、そう、昔のことですよ、と笑いかけます。
「また、二人で釣りに行きませんか」
この前行ったばかりだろう。いいえ、違いますよ。
じゃあどういうことだ、と少しだけ鈍感な彼に。
「約束したじゃないですか、二人で岡山に帰ろうって……」
言ってから、とても語弊のある言葉だな、と気付いて。
「……いえ、なんでもないです」
あまりの恥ずかしさに、取り消してしまいました。
「……大丈夫だ」
29:以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします:2014/03/08(土) 20:26:44.29 ID:TvOaOW1R0
いつもよりも力強い、彼の声。
「後ろの鞄から……スケジュール帳、出してくれ」
少しだけ失礼して、彼の鞄を開けてスケジュール帳を取り出します。
いくつか張られた付箋から、言われるがままに三月と書かれたページを開きました。
「……あ」
「少し急だが……構わないか?」
二本の矢印だけが伸びた、二週間ほどのスケジュール。
たった一言、休暇としか書かれていないその予定を、私はじっと見つめていました。
やっぱり彼には敵わないのかな、なんて思いながら。
「ええ、もちろん」
バックミラー越しでも分かるように、笑ってみせたのでした。
30:以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします:2014/03/08(土) 20:27:43.05 ID:TvOaOW1R0
以上で終わりです
ありがうございました