2: ◆i/Ay6sgovU 2016/03/01(火) 00:37:30.82 ID:bs6KrUv00
わたしは、とっても臆病です
アイドルというお仕事は、みんなに笑顔を届けるお仕事
それなのに、いつも不安になってしまいます
レッスンの時も
取材の最中も
収録現場でも
ステージの裏でも
“わたしはちゃんとアイドルになれているのかな”って
お守りに持っている四つ葉のクローバーも、この手の震えを治してはくれません
3: ◆i/Ay6sgovU 2016/03/01(火) 00:38:06.44 ID:bs6KrUv00
その日は小さなライブハウスでのお仕事
お客さんの前で歌うだけでも緊張するのに、共演者は……
「こんにちは、高垣楓です。今日はよろしくお願いしますね」
事務所の大先輩、高垣楓さん
何度かすれ違ったことはあるけれど、話すのはこれが初めてです
緊張で自己紹介すらも上手くできませんでした
4: ◆i/Ay6sgovU 2016/03/01(火) 00:38:37.72 ID:bs6KrUv00
わたしの出番がやってきました
でも、手は震えています
足も震えていて
後で聞いたら右手と右足が一緒に出ていたらしいです
「頑張ってくださいね。智絵里ちゃん」
楓さんが声をかけてくれたけど、果たして返事はできていたのでしょうか?
5: ◆i/Ay6sgovU 2016/03/01(火) 00:39:17.93 ID:bs6KrUv00
“行ってきます”と、消えそうな声で、俯いた顔で、言い残してステージに向かおうとした時
いつの間にか楓さんがわたしの目の前にいて、きれいな目がわたしを見つめていました
「緊張……しているんですか?」
心配させてしまったことが申し訳なくて、情けなくて、ほんの少し、頷くことが精いっぱいで
6: ◆i/Ay6sgovU 2016/03/01(火) 00:39:56.81 ID:bs6KrUv00
気が付くと、楓さんの両手が、わたしの両手を包み込んでいました
そして
「智絵里ちゃん、“大丈夫”」
力強く、でも優しく
わたしの心に語りかけるように
7: ◆i/Ay6sgovU 2016/03/01(火) 00:40:51.30 ID:bs6KrUv00
自分でも“単純だ”って思います
でも、確かにわたしの不安は消えていました
手も足も動きます
顔も下ではなくて上を向いています
8: ◆i/Ay6sgovU 2016/03/01(火) 00:41:36.96 ID:bs6KrUv00
ライブは成功しました
楓さんのファンの皆さんも、暖かい声を送ってくれていました
もちろん、それを導いてくれたのは、楓さんの“魔法の言葉”です
9: ◆i/Ay6sgovU 2016/03/01(火) 00:42:07.06 ID:bs6KrUv00
楓さんは、単純に、わたしを心配してくれて
そうして口から出た何気ない言葉だったんだと思います
でも、その何気ない言葉が、どんなに大きな勇気を、安らぎをわたしに与えてくれたのか
“1人じゃない”と思えることが、どんなにわたしを救ってくれるのか
“ありがとうございました”
この言葉だけは、ちゃんと伝えることができました
10: ◆i/Ay6sgovU 2016/03/01(火) 00:43:09.60 ID:bs6KrUv00
それから、何度か楓さんとはお仕事をさせていただくようになりました
ちょっとは緊張することも少なくなってはいましたが、お仕事の前、わたしがちょっとでも不安そうな顔をしていると、決まっていつも、わたしの手を握って
「“大丈夫”」
と、励ましてくれました
今は緊張ばかりして、いろいろな人に迷惑をかけてばかりのわたしだけど
いつかは楓さんのように、誰かを安心させることができるアイドルになりたい
そう、心から思うようになったんです
11: ◆i/Ay6sgovU 2016/03/01(火) 00:44:11.77 ID:bs6KrUv00
ある日のお仕事で、段取りを説明してくれた後に、スタッフさんから“何かわからないことはありますか?”と聞かれました
少し不安そうな表情で
どうやら、そのスタッフさんは新人さんだったみたいです
わたしは、なるべく力強く、
「大丈夫ですっ」
と答えました
すると、スタッフさんは安心した表情で、“よろしくお願いします”と言って去っていきました
この時、わたしの心にあった小さな達成感は、今でもよく覚えています
12: ◆i/Ay6sgovU 2016/03/01(火) 00:44:58.41 ID:bs6KrUv00
それからわたしは、“大丈夫”とよく口にするようになりました
その一言で、相手の不安を取り除けたら
安心してもらえたら
心からそう思って
13: ◆i/Ay6sgovU 2016/03/01(火) 00:45:53.40 ID:bs6KrUv00
また、楓さんとのお仕事の日がやってきました
その時期はちょうどお仕事が増えてきて、でもレッスンは欠かせなくて
もしかしたら少し、疲れていたのかもしれません
「智絵里ちゃん、最近、忙しいみたいだけど……」
楓さんが心配そうに話しかけてくれます
「大丈夫ですっ」
そう言ったのに
いつもならみんな安心してくれるのに
楓さんは、どこか悲しそうな顔をしていました
わたしが倒れたのはその次の日です
14: ◆i/Ay6sgovU 2016/03/01(火) 00:46:39.52 ID:bs6KrUv00
医務室のベッドで横になっているわたしのところに
なんと楓さんがやってきたんです
「智絵里ちゃん、言ってましたよね?“大丈夫”って」
わたしは何も答えることができません
15: ◆i/Ay6sgovU 2016/03/01(火) 00:47:27.03 ID:bs6KrUv00
「本当はつらいのに、心配をかけないようにって、無理をしていたんですよね?
智絵里ちゃんはとっても優しいから」
そんなことない、本当に大丈夫だったから、安心してほしくて
「私は悲しいです」
楓さんの顔は、昨日よりもずっと悲しそうで、今にも泣いてしまうんじゃないかというくらいでした
16: ◆i/Ay6sgovU 2016/03/01(火) 00:48:20.08 ID:bs6KrUv00
「私は、智絵里ちゃんの先輩として、お姉さんとして、少しでもかっこいい存在になれたら……って、ずっと思ってました」
「でも、本当につらい時に、頼られて、寄り添って、安心させてあげられる存在にはまだなれていなかったんですね」
ああ
どうしてわたしはこの人を追い詰めているんだろう
あの時にもらった安心を、少しでもお返ししたかっただけなのに
また不安にさせてしまっている
17: ◆i/Ay6sgovU 2016/03/01(火) 00:49:22.51 ID:bs6KrUv00
「智絵里ちゃん、もしも、私のことを頼りに想ってくれるのなら。
もしも、私が素敵なお姉さんになれているのなら
つらいことも、悲しいことも、教えてほしいんです」
わたしは頷くことができません
安心してほしいのに、心配しないでほしいのに、こっちから不安を押し付けるなんて
18: ◆i/Ay6sgovU 2016/03/01(火) 00:50:11.05 ID:bs6KrUv00
「今だって、私のことを心配してくれているんでしょう?
不安を背負わせるなんて……って」
全部お見通しでした
本当に……すごい人
「ふふふ、心配してくれてありがとう。でも私は」
「“大丈夫”ですよ」
19: ◆i/Ay6sgovU 2016/03/01(火) 00:50:56.60 ID:bs6KrUv00
やっぱりだ
わたしは気づいていたけど目を背けていた
この人の“大丈夫”は、わたしのとは違う
その証拠に
こんなにも胸が暖かい
20: ◆i/Ay6sgovU 2016/03/01(火) 00:52:51.03 ID:bs6KrUv00
わたしは、とっても臆病です
でも、わたしには頼れる素敵なお姉さんと、魔法の言葉がついています
わたしも、いつか、誰かにそう想ってもらえるように
心を込めて
わたしは“大丈夫”です
おわり
ヒルクライムの「大丈夫」より着想を得ています